ページビューの合計

2012年3月18日日曜日

はだしランニング-ダメージコントロール-まぐろぐ

はだしランニング-ダメージコントロール    

☆無駄な動きをそぎ落とし、人間本来が持つ効率的な走り方の 
走り方の回復を目指す。   
☆「つま先から足を下ろし、はだしで地面の感覚をつかんで」   

☆北の漁師の一言 
  ・「チリ地震津浪の思い出」-津浪災害のはだしの勤労動員 
  ・「はだしの生活」の思い出。
   

 



▼ 膝を柔らかく使い、身体全体のバネで衝撃を吸収するので、 
   怪我もしにくい。
    [相撲の四股]→つま先から足を下ろす 
    
     
  
▼ はだしランニングの普及を目指す。 
  [日本ベアフット・ランニング協会
     
▼ 靴で忘れた感覚回復。 
 ・『はだし走法』- [裸足は足に優しいランニング法
    - ハーバード大研究結果 
     
▼  かつて、東京五輪マラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手。 
  忘れられた人間の野生、 
 ・人は足から老いる、『備えあれば憂いなし』とか。 
  なにも災害にと理屈をつけなくても、
  "サプリ頼むな己を頼め" - 温故知新。 


 ▼ 北の漁師から一言-往事のはだしの思い出 
 ○[チリ地震津波]の思い出-津浪災害の勤労動員 
      
  ・遙か昔のことなれど、
   忘れもしないチリからの津浪-外国製の津浪-あのときは 
   寝耳に水とはこのことか。  
   夢想だにもしなかった。 
  ・「津浪だあー」と起こされた。 
   昭和三十五年五月二十四日朝五時-第一波がきてから、 
   はね起きた。  
  ・早速、須賀(浜)に駆けつける。 
   日本の津浪なら、とっくにかばねを水漬く大津浪。 
  ・時あたかも水校(水産高校)の中間試験。 
   夜中過ぎまでテストの勉強。寝ぼけまなこをこすりながら、 
   あたふた駆けつける。  
  ・状況は手をこまねいてただ傍観するのみ。  
   チリからの大津浪で寝込みを襲われ、 
   あろうことか屋根に人が乗って湾の奥から流れ来る。
 
 
   ※ 戦訓 湾のサイドは被害軽微-岸壁から浪があふれて、 
     冠水ていど-川そのものがいなす-水流を逃がす。  
     ソフトランディング
。   
     須賀(砂浜)が水を吸う-当時はコンクリートで囲った 
     築港なるものはまるで無かった。  
   それが浪まかせ、行ったり来たり渦巻くそのままに。
  ・切歯扼腕とはこのことか。 
   ただただなすすべなくながめるばかり。 
  ・時はいたずらに過ぎ朝飯をかっ込んで登校、 
   テスト中止、罹災住民の支援のため勤労動員をかけらる。  

 
  ●「はだしで出動」 
  ・トレパンに着替え直ちに出動。 
   このとき"はだし" - 軍手などの道具はまるで無し。 
  ・途中道路の決壊で足止めされるもおよそ一時間で現地 
   集落に達す。 
   この間湾奥の左手浦を見ると、我が校の9mカッター(端艇)が、 
   波間に漂い沖へ行ったり来たり。  
  ・これの回収に、三年漁業科を出動させる予定があったと、 
   つい最近聞いた。  
  ・着いてみると、何もない流されて。  
   更地また更地-当時は防潮堤なんてものは造られてなかった。
  ・波高5m超のサイクルの長い津浪と記憶している。 
   これが緩やかな早さで水位を増し、家々を押し流したものと。 
    ・そしてまだ夢枕の眠りをおそった。 
   [チリ地震津波災害
        
  ・救援動員間  
   不思議に足を切って負傷するなど皆無。
   それくらいきれいさっぱりと何もないところで作業。 
   昼飯は売るかさない米をいそいで炊いた大きなにぎりめし。 
   そのかたいことといったらなかった。 
   これ思いでの二つ。
  ●「はだしの生活」の思い出 
   水校三年の間[漕艇部]の生活の思い出を紹介。 
       
  ・もとより"水産魂"を養うことですから、 
   「訓練は実戦のごとく、実戦は訓練のごとく」の下、 
   不撓不屈の精神と死なばもろとも運命共同体。 
   艇に乗れば、あるいは校内生活間たいがい"はだし"。 
   冬も無理して、意地を張って、素足、はだしの"やせ我慢"。
   こうした中、須賀・なぎさでランニング。 
   不運にも足を切ったり、漂流物に脚をとられて捻挫して、 
   泣く泣く訓練あきらめて、一人寂しく"帰ろう部"。 

  
 まぐろぐ 
 H24 ‎2012-‎03-‎18 1540 

0 件のコメント:

コメントを投稿