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2011年12月28日水曜日

驚くべき貞観地震-大津波-まぐろぐ


驚くべき貞観地震-大津波  





★ 2011年3月11日に発生し、
東北地方を中心に甚大な被害をもたらした「東日本大震災」。
千年以上前に発生した同規模の地震とされる「貞観地震」の実態を
箇条書きに述べます。
★ 次いで戦訓として北の漁師からの一言。

1. 貞観元年(859)
七、八、九、十、十一月と立て続けに地震が発生。
2. 貞観二年
十四回も地震が起き、
富士山の上空に「五色の雲」が現れた。
3. 貞観三年
七回の地震が起きる。
4. 貞観四年
十九回もの地震が起きた。
一、二、三月にそれぞれ二回、五、六月に一回、七月に二回、
九月に四回、十月に二回、十一月に一回、十二月に二回。
◎九月には「京都の人家の井戸が皆涸れてしまった」。
5. 貞観五年
地震の回数は七回と減ったが、
北陸の越中、越後で六月十七日に大地震発生。
6. 貞観六年
地震の回数七回。
◎東では「富士山が噴火」、西では「阿蘇山が噴火」する。
十月十二日 京都の地震。平安京は地震におびえる生活。
7. 貞観七年
富士山の噴火を含めて九回。
8. 貞観八年
八回の地震が伝えられる。
9. 貞観九年
噴火を含めて十一回の地震が発生。
◎五月十二日には再び阿蘇山が火山活動が起こる。
前夜「奇光が現れる。
10. 貞観十年
地震の回数二十四回にも及び、「貞観年間最大の
二番目という多発の年」となる。
◎七月八日 「播磨の大地震」-すさまじかった。
11. 貞観十一年
九回発生し「東日本と西日本に最大級の被害」
◎五月二十六日のいわゆる「三陸沖地震」と大津波。
七月十四日の肥後国ノ地震と大津波。
12. 貞観十二年
五回の地震。
13. 貞観十三年
四月八日 出羽の鳥海山が噴火。
14. 貞観十四年
十三回の地震。
15. 貞観十五年
十二回。
16. 貞観十六年
十四回と続いた。
◎薩摩の「開聞岳」が七月二日に噴火。
貞観十七年 九回、同十八年 八回と続く。
※ 引用
坂元義種-京都府立大学名誉教授の論文
[日本三代実録]、同論文の底本は、
[新訂増補国史大系本]を使用。

★ 戦訓として北の漁師から一言
・すさまじいどころではない二十年。
人類滅亡とはこのことか。
山城国 平安京では、恐れおののいたのではないでしょうか。
・読者諸兄には、
「うさぎ年はなんとやら」-[卯年は歴史的な大災害や事故の当たり年・・・
今年は何かが起こる]-を読まれたらいかがですか。
・約千年余の大昔このような世紀末現象があったとは・・・。
・この貞観の十一年、この度の3.11の大津波は時を越えてともに、
有数の大津波。
・いずれも「日和峠」を津波の浪が上がり集落へ襲いかかった。
-「日和峠」-漁師が明日朝の天候を占う高台の場所。優に三十メートルを
超える高台。
・また、これより隔たること海上三十町?日出島(軍艦島):海抜五十八メートル
の高さの島-この小判型の島がこの度は波しぶきで見えなくなった。
・恐るべき浪の大きさで襲いかかったことになります。
状況説明はこのぐらいにして戦訓を
1. 地震後三十分は既定のことでして-起こる場所は決まっている。
この三十分が明暗を分けた。まさに運命の三十分。
これがため大変な数の人たちが助かっている。
2. 「地震が縦揺れの時は震源に近い」
あの「奥尻の地震津波」ときは、
震源地が非常に近く計算上七分~九分-時速四百九十キロ。
これじゃ助かりません!!
三陸の津波銀座の衆は慣れたもですわ。
3. 今回はこの慣れが仇となった。
正直な子供たち、頭が単純になったご老人等、全く津波の経験のない
現役の大人たち(怖さ一途で逃げた)-大津波警報が発令される前に
一目散。我を忘れて自動車で。我がちとはこのことで-てんでんこ。
4. 永らく続いた「太平の世に狎れた人たち」がたかをくくって皆むくろ。
5. 水が早く引くときは津波が早く来る。
「防潮堤」の高いのも善し悪し。
見えないから応用動作が、避難行動がとれない。
3.11は仕方がないが、市役所の屋上でビデオ撮影して遊んでいるようでは
なにおかをいわんや。
6. われわれの市役所はおそらく日本で唯一の河端にあると思われる。
ゆえにもこの場所の有利さを生かして、大津波監視所を設営。 
ここに監視哨として部隊要員を編成するべきであった。
7. そうしてリアルタイムに避難行動を誘導-気象庁の発令を待つことなく。
8. 一つで足りなければ「漁協本部ビル」-すぐる貞観の地震津波のときにも
浪がのらなかった高台しかも最前線-これと相まって一夜明けたら
自衛隊の全波無線を使用して司令塔になってもらいたい。
9. デジタル無線はあまり勧めず-コンディションの保持がむずかい。
10. 時代が変わったとはいえ、民衆の混乱騒動はなかった。
世界が認めるとおりなり。
◎ 未だ余震収まらず。

リンク 第五号まぐろぐの進水式-まぐろぐ-大津波

H23 2011-12-14 1500
まぐろぐ
            投稿 12-28 0940

2011年12月25日日曜日

海岸林が波の衝撃を吸収-大津波-まぐろぐ

海岸林が波の衝撃を吸収-大津波




 かの千昌夫の故山-陸前高田の「水野原」
 景勝地「高田松原」もかくのごとし 唯一生存せし「一本松」もまた
 みまかった 顕彰しようと人々が手を変え品を変え手当てした
 あわれあえなく 残念なり
  


・「波の衝撃を吸収し被害軽減」-砂浜が波を吸う
 海岸林が波のウォーターハンマーをいなす。
 消防団の河川水防工法の「木流し工法」の応用ともいえます。

・北の漁師が今回の大津波につき、戦訓を提案します。

○海岸林が波のウォーターハンマーをいなす
 --高度経済成長期からの趨勢からみるに、
  港湾造成からのマイナス効果-一般に自然の地形すなわち、砂浜、須賀、
  磯、渚などにおいては、砂、山砂、石浜が「水を吸う」
  といわれています。
  当局も気がついておるのですが、
  「水の流れの変化、返し波の変化」よって甚大な被害が発生する。
 --昭和35年の「チリ地震津波」の戦訓だった。
 --「ソフトランディング」に切り替えることを提案します。
  すなわち、衝撃が吸収され、漂流した車や船舶、がれきが住宅地・
  商店街に激突するのを和らげる効果があります。
 --「ハードランディング」
  条件によっては、「防潮堤のかさ上げ」も必要かと。
  それは、マスコミ・当局の報道写真から見受けられるところです。
 --「洗掘(堀り)」の問題
  防潮堤をのり越えた津波は、その裏側の地面をウォーターハンマーで、
  叩き付けるようにして掘返す。物理的に是非もないことで、
  防潮堤の基礎面を別に
  設計・作成すればいいことです。
  それにしても、すごいですな波の力は。

○北の漁師はこう思う
 --海岸林と防潮堤の組み合わせ
  大変有効な組み合わせだと思います。
 --真剣な避難訓練の徹底-ソフト対策
  これを可能にして、こぞってやることに意義があると思います。
  国難ともいわれる未曾有の大津波。忘れないようにするべきです。
 --宿命かもしれませんが「災害列島」です。水害は、体験しないと分かるも
  んじゃないとよくいいますが、全くそのとおりです。
  あの無力感、言葉で表わせない社会・自然環境の破壊、
  わけても異常な「臭気」。
 --ソフト対策
  ハード面と抱き合わせで、検討されるべきと考えます。
 --戦訓から
  ・地震そのものからの判断-状況からの行動-脱出
   「縦揺れの地震」-震源地に近い・津波が早く来る-この判断と行動が、
   具体的に30分以内の避難-一期の別れとなった。
  ・「30分以内の避難」とは
   三陸沖はるか東方の海溝部の位置-地殻がせめぎあう処-からの距離から
   自ずと定まる。30分が死線との境目となりましょうか。
  ・居住地域の特性を知り、データーベースを自分の頭に叩き込んでおく。
  ・V字型の湾、湾の横なのかそれとも奥なのか。 
   すなわち、大津波の波浪の進行方向によって、直撃を食らうのか、
   時間的余裕を持って水流をいなせるのか、研究の必要あり。
   大変重要なことと身にしみて戦訓となすところです。

  ※「過去の体験が役に立たない大災害が襲来する」、
   マスコミ、要路の機関などの報道はありましたが、
   なんら役に立つことなくこのたびの国難になってしまった。
   ソフト面の対策が焦眉の急と叫ばれる所以です。

   「災害は忘れたころにやってくる」と。
   また、神明は「自ら助くるものを助く」。

  H23 ‎2011-‎06-‎10
  まぐろぐ
  投稿 12-25 1440
  今年は仮設長屋で歳とりか

2011年12月23日金曜日

押さえるよりも浪をいなす-大津波-まぐろぐ

「押さえる」よりも「浪をいなす」-大津波-まぐろぐ
  


説明を追加
 昭和八年の大津波被災後に完成した鍬ケ崎防波堤の赤灯台
 惜しくも全壊水没流亡
 朝夕 船の入れ出しに見守ってくれた懐かしの赤守り
 左側が陸でおよそ三百メーター先の陸岸には
 漁神の龍神様が鎮座まします

★ 引用 塩野七生 (作家・在イタリア)

  日本人へ・九十七 「ぶつかるよりも、逃がしてはいかが」
  文藝春秋・2011 6月号 

★ 次いで市への提言として、
  北の漁師から一言-小論を述べます。

  

○ 川のある町は津波の被害が少ない-川筋どおりに津波をいなす
 - 塩野七生氏は、                                                             d
  機会あって一夜構造設計が専門の中澤昭伸氏に、問いただしてみた。
  そうしたら、可能だというのだ。川のある町は津波の被害が少なかった
  という。                                                                
 - そして、中澤氏はこうもいった。
  津波が川を逆流して、今回の場合は五、六キロの上流まで達している。
  だが、三陸地方は、海から高台までの距離が短い。
  それで、"津波通り"を通す場合でも、
  直線で通せる距離は遠し、それが不可能な地点になると、そこには
  津波を逃がすための池を造るひつようがあるだろう、という。
  もちろんこの池も、普段は一段低いところにある野球場として
  使えるのだ。
◎ 「押さえる」よりも「逃がす」ことを考えてはどうであろうか。
○ 塩野七生氏はいう
 - 人間に例えれば、誕生から死までになる民族の興亡の物語は、
  歴史上では通史と呼ぶ。この通史を、私は今までに二度書いた。
  古代ローマと、中世のヴェネツィアである。
 - なぜ、この二つを取りあげる気になったかの理由は、
  なぜ彼らだけが、一千年以上もの長きにわたって繁栄できたのか、
  であったのだから。
○ 二つとも書き終えた今は断言できる。
 - 第一は、
  彼らが持っていた資質他の民族よりも優れていたわけでもなかったのだが、
  その自分たちの資質を十二分に活用する才能では優れていたこと。
 - 第二は、
  ごくまれにしか、つまりよほどのことがないかぎりは、
  玉と砕けようと正面から激突するやり方には挑戦しなかったこと。
◎ アーチはローマ人の発明-アーチを外から見たいと思えば、
  「コロッセウム」見ればよい
 - アーチはローマ人の発明だが、あの形にすると上からの力を
  逃がすことが可能になる。
  大きなドームで目立つ「パンテオン」も、あれをささえながらも
  上からの圧力を、合計八個のアーチによって逃がすことによって、
  崩壊をまぬがれてきたのである。
 - パンテオンを支える八個のアーチは、壁に埋まっていて外からは
  見えない。この働きをしているアーチを外から見たいと思えば、
  コロッセウムを見ればよい。
  三階にもわたるアーチの列は、美観よりも圧力を逃がすために
  考え出された。
◎ 古代ローマの建築物のすべては、圧力を左右に逃がす造り
 - パンテオンやコロッセウムだけではない。
  古代ローマの建築物のすべては、上からの圧力に対して
  強力な壁で立ち向かうのではなく、圧力を左右に逃がす造りに
  なっている。だからこそ、二千年後にもまだ立っているのだ。
◎ ヴェネツィアは、「ラグーナ」と呼ばれる潟の上に、
  人工的に造られた都市-島と島の間を水に流れてもらう
 - ヴネツィアは、ラグーナ呼ばれる潟の上に、人工的に造られた
  都市である。本土から流れ込む二本の川と海からの朝夕の潮の
  流れを放置すれば、一日も過ぎないうちに水びたしになる。
  それで、一千五百年昔のヴェネツィア人は考えた。
 - 潟の上に顔を出している島という島を埋め立てるのではなく、
  島と島の間はそのままで残し、そこを水に流れてもらうように
  したのである。
◎ 「海の都」-ヴネツィアの運河
 - こうして、今われわれが見る、何百という島をこれまた何百という
  橋が結ぶ、海の都ができたのだった。
 - ヴェネツィアの運河は、舟を通すためではない。
  水を通すためなのだ。
 - 近年このヴェネツィアも、河川の水量が増す冬期ともなると
  しばしば水びたしになる。あれは島と島との間を
  埋めたててしまったからで、もしも昔のままであったら、
  絶対に起こらなかった現象だ。
◎ スーパー堤防よりも津波が通る運河
 - 日本人も、耐震技術となると、力を逃がすという方向に進んでいる。
  耐津波でも、その可能性を検討してはどうだろう。
 - スーパー堤防を延々と築くよりも、津波が押し寄せてきたときには、
  それにお通りいただく運河を通すことによって。
 - もちろんその運河は、普段は自動車道として活用する。
◎ 喜んで住む町に
 - いつ来るかわからない津波を避けて高台に住み、
  海の近くは無人の地にしておくのでは、安全であっても
  喜んで住む町にはならない。被災地は再興しなければならない。
  しかも、今までと同じに漁港として。
◎ 津波を逃がす町造り
 - ならば、津波に立ち向かうのではなく、津波を逃がす町造りに
  変えてはどうか。高台から海辺に向かって、町の大きさを考慮
  したうえで運河兼道路を何本か敷設する。
 - 住居は、その"津波通り"から一段高く整地した地帯に配置する。
  和やかな漁村風景ではなくなるだろう。
 - だが、子供たちが成人した後も居つく気になる町としてならば、
  再興できるのではないか

★ 上記論文は、
  はなはだ卓見なる故
  あえて全文を掲載します。
  さすがは「塩野七生」氏-日の丸を外から眺めていらっしゃる。


★ 北の漁師から提言
 ・ 市から「案」として、二三見過ごしのできないものがある。
 ◎ 「閉伊川河口の水門」
   上記論文のごとくソフトランディングにならない。
   川が津波をいなしてくれる、また浪の反作用も考えなければならない。
   川であるから毎年の流下する土砂の堆積も考慮しなければ金食い虫となる。
   船の係留場所はどうするか。
 ・ 既水扉門については取っ払えという声もなきにしもあらず。
    復興集会の意見聴取において、
   私は質したのですが案ということで退けられた。
   ここが問題-覆水盆に返らず-たとえあり。
 ・ 三陸沿岸は今までの数知れぬ「大時化」の戦訓があるのに、
    部署のグレードが違えばこのありさま。
    「砂浜が浪を吸う」と。
    コストパフォーマンスはいうまでもなく自明の理です。
 ◎ 「市当局は部隊編成をして速やかにリアルタイム警報哨所設営をなせ
 ・ 屋上から写真を撮って満足しているようではなにをかをいわんや。
   気象庁発令を待つことなく現場状況が大事だ。
   女子職員も炊き出し班として志願するシステムもまた肝要だ。
 ・ 第二哨所は「漁協本部ビル」となし、
   早い段階で自衛隊の通信隊の協力を頼む。
   全波無線機を持っていると思う。
 ◎ ソフトギア-避難訓練
 ・ 阪神大震災の一年後の訓練のてつをふまないこと。
   なぜか失敗したらしい-知事をして「またあのときと同じじゃないか」と、
   言わしめた。

   H23 2011-12-23  1100
      かまびすしきは余震なり 於 仮設長屋
   まぐろぐ

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