3.11三陸前沖の戦訓-大津浪
3.11東日本大震災は、震源から始まった『断層破壊』は、
20~30秒間想定していた宮城県沖と三陸沖南部海溝寄りで進行す。
しかしその後、海溝寄りが約100秒後まで滑り続けた。
要約
断層滑りからの断層破壊。
同3時25分には、日本海溝外側の太平洋プレート内を震源とする
『正断層型』の余震(M7.5)が発生。
大きな断層運動がプレート内部にも影響を与え、
4月7日には震源の深い余震(M7.1)を引き起こした。
北の漁師の戦訓-悲喜こもごも
北の漁師の消防団班長としての本領。
遺体収容思うにまかせず。
遺体捜索奔命に追われる。
清水はともかく食料乏しく。
団臨時屯所と朝夕明け暮れの間。
望むべくもない情報収集。
★ 断層破壊-広範囲
引用 八木勇治筑波大准教授・地震学・釜石市出身 論文
東日本大震災は典型的なプレート境界地震である。
北アメリカプレートの先が引きずり込まれ、ひずみが蓄積。
このひずみが解放されてプレート境界面に急激な滑りが生じ、
地震となる。
断層滑りからの断層破壊がこれに引っ張られるように、
岩手県沖から茨城県沖まで面的に広がり、
巨大地震はともかく空前の人的被害をもたらす、
大津浪となった。
★ 正断層型の余震
同3時25分には、日本海溝外側の太平洋プレート内を震源とする
正断層型の余震が発生。[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120131/k10015654121000.html]
大きな断層運動がプレート内部にも影響を与え、
4月7日には震源の深い余震(M7.1)を引き起こした。
★ モーメントマグニチュード9.0となった
東日本大震災はあまりにも巨大だったため、
震幅を基準とした『気象庁マグニチュード』では正確な規模を
算出できず、
震源域と滑り量から計算するモーメントマグニチュードで
9.0となった。
★ 海底の地殻変動の観測結果と海底データの実測
国土地理院は、
衛星利用測位システム(GPS)と海底の地殻変動の観測結果から、
断層滑りを最大59.2mと算出。
海上保安庁の海底基準データは震源近くの海底が
東南東へ約3m隆起。
海底データの実測に成功したことで巨大地震の実態が
明らかになりつつある。
★ 北の漁師の戦訓-悲喜こもごも
北の漁師の消防団班長としての本領。
いわずと知れた「赤袢纏」、公に報ずるはこの秋か。
大時代な言葉使いながら、こんな被災直後の状況だった。
見渡す限りの荒涼たる「水野原」、
はてまた日和のつれなさよ-寒さがぶり返し
「凍え死に」もあったのでは、と。
昭和8年の大津浪には、未明過ぎの2時半頃の津浪の襲来だった。
ゆえにも寒波到来で「しばれた」朝まだき。
凍死あまたと聞いております。
「意気消沈」などしておれない。
どこから手をつけたら、「地獄の様相」これ以下に。
そうだ、まず「消息不明者」の情報発信。
「人命救助」、「遺体捜索・収容」-対応に追われる。
分團の管轄内では5月20日までかかって自衛隊ともども働く。
この間、道路復旧残砕の片付け終わる。
食料には苦労しなかったが清水の確保には困った。
市の水道能力は余裕があったのだが、この始末。でも仕方がない。
電気・電話の復旧はさらに早く日本の底力、頼もしい限りだった。
分團臨時屯所(仮説避難所)-朝夕明け暮れの間。
避難所には洗濯機、風呂場が絶対必要条件だ。
清水はともかくも山からの「沢水」が有り難かった。
分團には民間のそれぞれの有志が在籍、窮すれば通ず。
応用動作よろしく自己完結。
「乏しきを憂えず」-状況を悲観しない、行動は大胆に。
常日頃の「状況設定」を痛感する。
分團臨時屯所の行動間に感ずること
1.なぜ前兆がなかったのか。
3.11大震災備え忘れない-大津波-まぐろぐ
[http://blogs.yahoo.co.jp/maglogy/3022920.html]
2.なぜ大震災を予測できなかったのか。
-なぜ地震・津浪の前兆は科学的でないのか?
関東大震災等で発生した前兆現象
[http://www.eleshow.com/namazu/zenchou.html]
3.なぜ仏となった人々は天命を容認したのか。
4.貞観年間の大地震再び繰り返すか。
驚くべき貞観地震-大津波-まぐろぐ
[http://88678134.at.webry.info/201112/article_3.html]
H24 2012-02-04 1550
まぐろぐ
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