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2012年1月30日月曜日

3.11震災のメカニズム-大津浪-まぐろぐ

三陸沖北部M8.2最大10%;M7.6前後90%-大津浪  

震災のメカニズムを知り頻繁に発生する地震とは分けて対策を講じるべきだ 


※ 引用 地震予知連会長:島崎邦彦氏に聞く


★ 震災のメカニズムを知り、あらゆる災害への備えを
  固める必要がある。
★ 北の漁師の一言 
・ 『ゆっくり滑り』 [http://nankai-jishin.com/archives/415]
・ 『地震学の今を問う』
 
○ 東日本大震災の特徴 
・ 「日本海溝寄りに大きな『断層滑り』が集中し、
  引きずられて岩手県沖から茨城県沖まで大きく崩れた。
  小さい地震が連動したのではなく、海溝で起きる基本的な
  大地震が発生したといえる」 
○ M9級の地震の発生がなぜ想定できなかったのか 
・ 「われわれは最も基本的な地震を見ずに、それよりも小さな地震を
  見ていた。プレート境界の地震はすべて理解していると思っていたが、
  最大級を知らずに語っていた」
○ 地震調査研究推進本部は東日本大震災を受けて長期評価の見直した 
・ 「これまでは、確率が高い地震にしか対策をしてこなかった。
  しかし、確率は低くても、万一大津波に襲われれば甚大な被害をもたら
  す。
  頻繁に発生する地震とは分けて対策を講じるべきだ」 
○ 余震や誘発地震はいつまで続くのか 
・ 「過去の地震では、前後5~10年は地震が起きやすい状態だった。
  今後10年ほどは陸でも比較的大きな地震の可能性はある」

★ 北の漁師の一言 
○ 10ヶ月もたって学者諸先生方が"百家争鳴"、 
  有り難くも素直に拝見しております。
・ "覆水盆に返らず"の例えのごとく願わくば、
  大津浪襲来の前に目にしたかった。
・ いろいろと調べましてゆっくり滑りの学説に接し、
  はたと膝をたたきました。

※ それは三陸の沖に"全く前兆がなかった"。
  要するに『電磁波の発生』が見られなかった。
  若しくはゆっくり滑りのため電磁波の発生がごく軽微だった。
  水産動物などはこれら異常現象にさとい。
  漁模様に何ら変化がみられなかった。
  また、異常潮流ということもなかった。
  私ら北の漁師はこのように判断するところです。

○ さらにいわせてもらえば、 
  学者諸先生方も人間ですから世の中のくびきからは、
  逃れることはできない。 
・ 先輩、後輩の力関係があり逆らえない。
 
※ 当たらずといえども遠からず 産経新聞 『地震学の今を問う
    2011-10-16 0755
  [http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111016/dst11101607570002-n1.htm]  

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H24 ‎2012-‎01-‎30 1600 
まぐろぐ

2012年1月18日水曜日

スーパーサイクル・3.11大震災の謎の解明-大津浪-まぐろぐ

スーパーサイクル・3.11大震災の謎の解明-大津浪 


 

目次 

★ 浮上した「スーパーサイクル」説
★ 「滑り残し」 
★ 南海トラフ「大連動」の危険 
★ 「前滑り」-検出できるのか 
★ 「前兆滑り」 
★ 「電子が電離圏で異常増加」-3.11大震災約1時間前 
★ 次いで北の漁師の戦訓を述べます 
★ 引用-阿修羅 [http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/542.html] 
生き残りをかけてかつ面の皮を厚くして、 
引用しました。 
同 [http://www.asyura2.com/11/jisin17/index.html] 自然災害 

●浮上した「スーパーサイクル」説
・世界最大級のマグニチュード(M)9・0が襲った東日本大震災。
日本ではあり得ないとされた巨大地震は、なぜ起きたのか。
この謎を説明する「スーパーサイクル説」を東大地震研究所の佐竹健治教授が提唱、
大震災に至る長期的なシナリオが浮かび上がった。
東北地方では700年以上の周期で巨大地震が繰り返されていた可能性が高まっている。

・今回の震源地に近い宮城県沖は、
M7・5程度の海溝型地震である宮城県沖地震が頻繁に起きる場所だ。
にもかかわらず、はるかに巨大なM9ものエネルギーを、どのようにため込んでいたのか。 

・巨大地震が繰り返されるこの長い周期を「スーパーサイクル」(超周期)と呼ぶ。
つまり宮城県沖では、
通常の海溝型地震と巨大地震の2つのサイクルが存在するという考え方だ。 
・スーパーサイクルの発想は、
2004年のスマトラ沖地震(M9・0)で米国研究者が最初に提案したが、
日本で議論は進んでいなかった。
一方、宮城県沖の滑り残し現象はこれまでも知られていたが、
地震を起こさずにズルズルと解消されるとみなされていた。 

・佐竹教授は「巨大地震は起きないと漠然と考えていたが、
  可能性をきちんと検討することが大事だ。
宮城県沖ではM7・5の繰り返しではなく、M9基本とする発想の転換が必要。
スーパーサイクルがあれば発生確率の計算も可能になる」と話している。  

●「滑り残し」 
・佐竹教授は「滑り残し」現象に着目した。
宮城県沖地震では、プレート境界は完全に滑り切るのではなく、
滑らずに残る部分がある。
同地震は平均37年間隔で繰り返され、
そのたびに滑り残しが「貯金」のように少しずつたまっていく。
長い年数をかけて「満期」に達すると、
全額が払い戻されるようにプレート境界全体が一気に滑り巨大地震が起きてリセットされる、
というシナリオだ。 

●南海トラフ「大連動」の危険 
・東日本大震災の最大の特徴は海溝付近でプレート境界が大きく滑り、
この影響で津波東日本大震災の巨大地震はまったく予想されていなかったが、
地震後の研究で「前兆」の可能性がある複数の現象が見つかり巨大化したことだ。
西日本の太平洋側に伸びる南海トラフ沿いでも、
同じメカニズムの連動型巨大地震が起きる懸念が強まっている。 
・海溝付近のプレート境界は地盤が非常に軟らかく、固着していないと考えられていたが、
大震災では宮城県の沖合を中心に大きな滑りが発生。
津波地震と陸側の海溝型地震が広範囲で連動するという地震学の常識を覆す事態が起きた。 

○一方、南海トラフで起きる地震の想定では、
東海、東南海、南海地震の3つが連動した宝永地震(M8.6、1707年)が最大級とされたが、
東大地震研究所の古村孝志教授のシミュレーションによると、
宝永地震と津波地震の慶長地震(1605年)が連動する東日本大震災型が起きた場合、
津波の高さは宝永の約1.5~2倍に達するとの結果が出た。 

○南海トラフでは従来、東西に並ぶ3地震の連動や、震源域が九州の日向灘までのびる可能性   が議論されてきた。
しかし東日本大震災を受け、今後は海溝付近の津波地震を含む「大連動」を真剣に検討する
     必要がある。次の地震が単独型で起きる保証はどこにもない

●「前兆滑り」-検出できるのか 
・東日本大震災の巨大地震はまったく予想されていなかったが、
地震後の研究で「前兆」の可能性がある複数の現象が見つかった。

・小さな地震のうち、プレート境界の滑りを反映する「小繰り返し地震」を調べたところ、
M7.3の発生後、プレート境界の滑りも本震の場所に向かって進行。
本震のすぐ北東では、約14時間前に通常の約1000倍に相当する急速な滑りが始まったこと  を突き止めた。

・研究チームは、前震に伴う滑りの進展が「最後のひと押し」になり、
巨大地震発生の引き金となった可能性があるとみている。 

※東海地震では、直前にプレート境界の滑りが加速する「前兆滑り」が起きるとされ、
その検出が予知成功の条件だ。
     今回の分析結果は滑りが加速する傾向は見られず、
     前兆滑りだった可能性は低いが、巨大地震の直前の様子を探る貴重な手掛かりになる。

  ★北の漁師の戦訓
  戦訓と提案
1.「避難ビル」--最寄のビルを利用して、避難所に指定。
何らかの助成が必要でしょう。
病院などで、寒さに耐え屋上で一晩過ごし生還者多数(町へお出かけの
                         人々)。
「平成三陸大津波」では、逃げるいとまがない地域が多数あり。
親の命令第一声で、無我夢中で逃げた子供がかろうじて生還、家族全滅。
2.三陸沿岸の市町村の場合--車で逃げる
未経験の年配の人達が助かっている。もちろん漁師でない。
「大津波警報」が発令される前の脱出。このような素早い行動が命を拾った。
漁師はじめ、「高をくくった連中」が死神によばれた。
漁師は船を助けなければの
               使命感。
3.真剣な避難訓練
・課題設定--状況設定
お買い物、病院診療、孫を家であるいは保育園にあづけている、
自家用車を運転中。
・我が家の重要書類の持ち出し
--日頃の用意と担当者を決めておく。
4.訓練の概要として大きく「社会インフラの停止」
--地域住民すべて参加の下、自治体、企業体、諸団体全て、社会活動、経済活動をス 
トップして行う。

★ 日本人の民族的欠陥
--よく聞きますが、「日本人は歴史に学ばないDNAを持っているらしい」。
また、「不幸を忘れ去る日本人」--悲しみを受け止めない。死者と悲しみに寄り添い、
社会の信頼性を高めて行こうという思想が
生まれてこなかった--情緒民族でしょうか。
--もう一つ、阪神淡路大震災では、一年後の訓練の日に県知事の思惑通りには、
              いかな かった。いろいろとあうもしよう、
              こうもしようと綿密な計画の下実施した。
結果、連絡網の不備と不徹底が災いし、命令指示が失敗した。
県知事をして、「あの時と同じしゃないか~」と言わしめた。
なにおかをいわんやですね。記憶に古いことながらこのように覚えているところです。

★ 「輪中」の知恵と戦訓

★ 過去の経験則
--体験とあるいは話の内容との成り行きから、「電磁波の影響」かと考えますので、
            以下にその現象を列挙します。
・晴天の暗夜沖出し中に、「怪火・怪音」-曇ってもいないのに稲光のような雷鳴に似た光。
・異常潮流-経験したことのない潮の速さ-時期はずれの魚種、漁獲-不自然な大漁、
同不漁。
・陸で井戸の渇水と井戸水のにごり、涸れたことのない井戸(深い井戸)の異常。
・身の回りの動物の異常行動-犬などのペット。
・山など自然界からの異常な現象。
-生物(昆虫、爬虫類など)異常な行動-ものすごい大群の移動、時期はずれの出現-
先の支那の四川大地震のとき、
おびただしいカエルの大移動が発表されている。
-このような現象があると、約一週間後には来襲する「ホケンのホ」となります。
◎先達からのこうした教えは、自然界からの兆しとして主なものを挙げましたが、
               まだまだあると思います。
例えば、沿岸部の百姓どころもまた独特の兆候を、
体験として持っているわけですから調査も必要です。

◎「奥尻の大地震」
--このときも、「山からの前触れ」が報道されました-ある種の昆虫の大移動。
こういうのを、発掘してデーターベースにすれば、
大変有意義なこと請け合いです。
ちなみに、このときの津波の時速は450km/h以上でとても助かるもんじゃありません。

               助かったのは、「イカつけの漁」に出ていたオヤジ達だけでした。
               藻屑となった人達は、
  地震発生後7~9分でのまれてしまった。

なんでも、風呂に入っていて逃げようと片足を挙げたおばあさんがそのまんまですわ。
震源地が島のすぐそばの沖合い、しかも経験がない珍しい災害だったんです。

--私らは、日本海の秋田沖にアンカーしてまして、
岸壁を見たら1mの水位の上昇が見られた。
津波の水流の脇だったのでことなきを得た。
この津波は、富山湾はおろか遠く若狭湾まで達し、「船外機-小船」がひっくり返った。
ああ、恐るべし海しょくかな。
--札幌管区気象台の意外な能天気さ
官僚気質とはこのことか、全く民間の意見に耳を貸さない状況は、
                 事態の重要性に無頓着。
あのときは、ローカルかつ末端の状況報告をなさんと電話を入れたのに、
               断られましたね。
この辺のことどもも、このたびの大津波ではどう取り扱うのかな、興味あるところです。

      H24 2012-01-18 1500
まぐろぐ

2012年1月12日木曜日

熊野地方の大地震の周期とパターン-大津波 -まぐろぐ


熊野地方の大地震の周期とパターン-大津波 
 



※ 引用 「海の熊野」 谷川健一・三石 学 編 株式会社 森話社
  抜粋 「熊野の地震と津波」 三石 学

   お二方の研究は示唆するところがあるので全文を引用

★ 北の漁師の戦訓
   ・ 3.11大津浪襲来の避難状況
   ・ 出来得ればとして市当局への戦訓上申
   ○もって海深く睡る御霊を安んじ
   「りくる東南海地震http://burberry-tiepin.x0.com/?p=1092」の備えとしたい 

☆ 熊野地方や東海地方で、過去千数百年の間に起きた大規模地震は、
  熊野灘、紀伊半島西南、伊勢湾、遠州灘、駿河湾沖を震源とし、
  津波被害を伴っている。
☆ 駿河湾南方から四国沖の海底に、平均水深四千メートルの
  「南海トラフ」という海溝があり、これと接するユーラシアプレートの
  下にフィリピンプレートが沈み込む際のずれによるエネルギーの蓄積が
  一定の限度を超えると、巨大地震が発生する。
☆ 「東海地震」
 - 震源が駿河湾から浜名湖沖。
☆ 「東南海地震」
 - 浜名湖から潮岬沖。
☆ 「南海地震」
 - 潮岬から高知沖。
☆ 歴史に記録された地震の調査結果によれば、百から百五十年の間隔で
  マグニチュード八クラスの「海溝型地震」が発生している。 
☆ 東海道沖と南海道沖では対を成して地震が発生している。
☆ 東海道沖を震源とする地震が発生した後に、同日かあるいは間をおいて
  紀伊半島で大地震が発生している。
☆ 「二元地震」
 - このパターンを読み解くと、一つの地震が起きた場合、
  次に来る地震にも備えなければならないということがわかる。
 - 地震学者の飯田汲事教授はこのパターンをこの地域特有の
  「二元地震」と呼んでいる。
☆ 中央防災会議の「東南海・南海地震に関する専門調査会」は、
 - 幕末の一八五四年十一月四日の「安政東海地震(M8.4)」、
  同五日の「安政南海地震(M8.4)」では、
  二つの地震が三十二時間の期間をおいて連続発生したと報告している。
 - また、一九四四年の「東南海地震(M7.9)」と、
  一九四六年の「南海地震(M8.0)」は二年の間隔で発生している。
☆ このように時間単位、年単位の差はあるが、東南海・南海地震は
  互いに関連しながら発生しており、周期性と連動性がある。
  地震がおきてもまたすぐ次の地震に備えなければならない。
  これは重要な対策の基本である。

★ 北の漁師の経験
・ 「経験に優るものなし」
・ 「これがなければ九死に一生を得る」ことかなわずと覚悟あるべし。
○ じゃぁどうするか
・ 自然の異常現象、生物の異常行動、関東大震災の前兆、などなど
  己で研究すること。
・ 江戸時代の大火事の戦訓もまたしかり。
・ 己で「生命維持」のシュミレーションしておく。
・ 大火事災害の発生を予測すべし。
・ 3.11の大災がもし東京で起これば数十万単位の人的損害が?
  百万になんなんとすることにも。
  東京は災害に弱い!?-状況設定を甘く見積もらない。
  -これ「経験」の所以なり。
・ また、「迫りくる東南海地震」についてもさらに情報を取っておく。

★ 北の漁師の戦訓 
 ・ 3.11の震災では沖に大津浪の前兆が全くなかった。
   順調に漁が推移し異常な自然現象-水平線方向には、
   怪火・怪音また、陸上の井戸の渇水、その濁り知るよしもなく
   なすすべ能わず。
 ・ 私ら漁師はこれら前兆によって判断している。
 ・ 学者諸先生がマグニチュードというても、
   体感的にピンとこないのが実情なり。
   
 ● 3.11被災時の避難状況
 ・ 死亡・行方不明者の人々は、概ね理屈をつけててすなわち
   やれ「爺さんの位牌」を忘れた、「ペットの食い物」が、「孫の帽子がない」、
   などなど取りに戻って・・・。
 ・ ひるがえって、生還した人たちは、老若男女津浪を知るものも知らない者も
   単純にがんぜない「わらす」のごとく警報が出る前に逃げた人たちが
   生存を喜び合った。
   - 運命の五分から三十分 
 ・ 集落によっては逃げる暇のない地区もあった。
   - 「てんでんこ」とはこのことか。
   
 ※ 戦訓の上申 - 出来得れば 
 ・ 堤防はあればないよりましだ。 
   - 「高いのも善し悪しだ」 
    状況判断 - 川筋の、沖の浪など解らない。
 ○ 水が早く引くときは、津浪の勢いが強い。
 
 ◎ じゃぁどうするか
 ・ 「監視哨」を最寄りのビルの屋上に設置 
   - 「部隊編成」
    要因を選抜し警報だけによることなくリアルタイムに状況の発表。
 ・ 「半鐘」の乱打 - 人力による警報の発令。
   消防團の「赤半纏」がものをいう。
   人力以外の発動は無力と知るべし。
   デジタル無線など論外だ。
   - 非常時にては平常時のインフラは当てにならない。
 ○ 「自衛隊の無線車」
   - 全波無線機を装備するものと思う。
     出動配備が時間的に一昼夜が待たれる。
     
★ 結論
  「避難訓練」
  - その意欲、その継続、災心忘るるべからず。
  ◎ 「古の道を聞いても唱えても吾が行いにせずば甲斐なし」と。
  
★ 後記
  てんでんこもいいが、
  3.11では身命を賭して、
  多勢の各級指揮官、指揮者が殉職す。
 ◎死線を越えて忘れないようにしたいと考えてます。

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H23 ‎2011-‎10-‎24 1510
まぐろぐ
投稿 H24 2012-01-12 1130




2012年1月5日木曜日

地震津波火事-忘れられた江戸時代の戦訓-まぐろぐ

地震津波火事-忘れられた江戸時代の戦訓-大津浪 

寺小姓に岡惚れした娘が-死者10万人
江戸三大火事 


※ 地震津波火事には、『手ぶらで逃げろ持たずに逃げる
★ off lineで筆をすすめています。
★ 私たち日本人は、歴史に学ばないという民族性を持つといわ  れている。
このたびの津波による大震災をよすがとして、行く末の-
   『道を聞いても唱えても吾が行いにせずば甲斐なし』と。

★ 消防団員でもある北の漁師からの戦訓。

● 江戸時代、江戸の町はしばしば大火に見舞われ、幕府はその
対策に腐心し、結局、最も危険な物は、火事の折に避難する
者が家財その他を積んで引き出す大八車と断定した。
それらの大八車は、道路をふさいで火消しの動きを阻害し、
避難するものを身動きできなくする。
さらに積んだ荷物とともに大八車に引火し、それが延焼の
媒介となっている。
◎ 宝暦十年(1760)の大火の後、
幕府は、出火時に大八車を引き出すものを厳罰に処すると
警告した。
    「出火之節 建具ならびに諸道具等大八車にて積候義有レ之
候に付き 往還通路妨げに相成候。  前々も相ふれ候処
不届至極に付 自今見付次第召捕」。
として、当人はもとより家主も処罰すると通告している。
● 関東大震災では、家財その他を積んだ荷馬車、大八車が
道路、広場、橋にあふれ、消防隊に動きをはばみ、それらの
荷に引火して火は果てしなくのびていった。
避難場所であった本所の被服廠跡などには、家財とともに
四万人の避難者が入り、それらの荷物に引火して実に95%の
人が焼死している。
◎ 3月10日の東京大空襲では、
関東大震災で生きのびた人々は、荷物の恐ろしさが一般にも
徹底し-このように『歴史に学ぶことの大切さ』をまざまざ
と明暗を分けた。

● ひるがえって、
この度の東日本大震災における津波では、漏電だろうと思
われる出火が各地区であった。
阪神淡路大震災と違って生きながら焼かれることはかかった
が。

◎ 『スイッチ断ボール(防災ブレーカー)』-8月26日 NHK まちかど情報室 放送
漏電火災防式止器-アタッチメント-錘付きキャップをブレー
カーのノブに差し込んで使用。
震度5以上でひも付き錘がかごから飛び出てブレーカーを
下げる。
大変簡便で安価な器具であり有効性抜群。

★ 北の漁師=消防団員-震災による津波襲来
・被災直後は、情報錯そうし町中街灯が消えさながらゴース
トタウン、その中で消化水利の特定に奔走消火どころでな
い。
・がれきの山の中暗闇の間奔命に追われる。
・地元の団員の本来の性能が発揮不能。

まぐろぐ
H23 2011-09-03 ‎0920
未だインターネット回線架設ならず-仮設の長屋より

投稿 2012-01-05 0920

2012年1月3日火曜日

かたり継ぐ-大津波-まぐろぐ

かたり継ぐ-大津波



  語り継ぐには
  故人曰く 「いにしえの道を聞いても唱えても吾が行いにせずば甲斐なし」
  ただ非常の時に備え不断の練磨-「治にいて乱を忘れず」と
  
  


★ かたり継ぐ-妙円寺詣り・あの薩摩の精兵(せいびょう)が、家康の本陣を
  かすめ敵中突破76名生還。さながら九死に一生の物語。
  「隼人の国難」-「日本人の国難」

 --平成23年3月11日1446、国内観測史上最大のM.9.0を記録した未曾有の、
  「11東日本大津波」。日本を襲う。
  死者行方不明者合わせて2万人を超えるこの大災害は、
  現在も収束することなく進行形です。
 --亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方々には
  厚くお見舞い申し上げます。

★ すぐる16年前の大震災-復興せる神戸長田区
 --私たち日本人は、今から16年前にもM.7.3というまれに見る大震災を体験
  しました。
  関西地方で起きた「阪神淡路大震災」です。
  まだ明けやらぬ、0546に起きたこの地震は広い範囲で建物や道路を破壊し
  同時に大火災を発生させて多くの人命を奪いました。
  その後、日本人の強い絆と努力によってしっかりと復興を遂げていますが、
  決して忘れてはいけない史実であり、
  「かたり継がなければならない国難の記録」でもあります。
 --その阪神淡路大震災で火災による被害が最も大きかったのが、
  国際港・神戸の長田区であった。
 --1年後、清水の補給のため長田のとある船溜まりに寄港した。
  予定通り補給を終え午後から上陸してみるに、
  白木の板で囲った商店の数々、アーケードの両側に軒を並べての商店街。
  たくましい神戸、これが神戸の力なのか、感じ入りました。
  帰りの夜遅く、アーケード街の下で消防団の若い衆が消防操法の演練を、
  町の肝いりの指導の下汗を流しておったのが忘れられません。
  小輩、しばし見とれて見学。
 --やれ、やろう、よしよし。

  H23 2011-06-18
  まぐろぐ
  投稿  H23 2012-01-03 1430