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2012年7月28日土曜日

地震雷火事親父・後記-防火防水防災-まぐろぐ

地震雷火事親父・後記-防火防水防災  


釜石市両石町の対津戦闘詳報というべきもので、
生々しい情景は被災者の共感を一にするものなり。

その後仮設長屋の暮らしのご苦労を偲び、
また、
数々の忌まわしい記憶と先々のたつきの不安なしとせず、
慰霊の一文を献げます。

ここに非業に斃れた43人の方々はもとより、
同地区の自主防災組織のめざましい活躍と、
その避難行動の常日頃の鍛錬と、
永年の津浪の調査、防災活動、教育啓蒙を紹介し、
もって鑑となし他山の石とするものです。

これで「大津波シリーズ」を終わり筆を擱きます。

本ブログでは、
1.ルール周知も43人犠牲。
2.釜石市両石町の無念と鵜住居の惨禍と奇跡。
3.語り継ぐ人材が必要だ。
4.北の漁師の流儀  


序論

両石町の自主防災組織
 2010年12月に結成。
 以前から町内会で防災活動に取り組んでいたが、
 本部長、副本部長、指揮本部、防災班などの
 体制を整えた。

 最大の目的を町民の命を守ることとし、
 過去の災害状況から津波警報時の避難優先、、
 『15分ルール』を徹底した。

 町内を12班に分け、
 避難に援護が必要な高齢者や歩行困難者、
 独居者などを把握。

 搬送者と要援護者をペア指名し、
 救助する仕組みもつくった。


各論・ランダム
3.語り継ぐ人材が必要だ
 

☆ 15分ルールを周知していた  


  

釜石市のすぐ北前が両石港 山迫りリアスの海に生きるしかなく
 
 "前半15分は援護が必要な高齢者などの救助に当たり、
 後半15分は自身が避難する"
。                    

 あの3.11。
 両石漁港の岸壁にいた、
 同町内会会長の「瀬戸元会長(67)」は、
 強い「縦揺れ」に襲われた。 


 
 
両石漁港 水深5mの海底 想像だにできない光景・3.11の猛威 

 ものすごい縦揺れに「津浪がくる」と直感。
 そして、
 「生き残りの30分」を目指し、
 かねてよりの15分ルールを住民に呼びかける。

☆ 『要援護者搬送』の仕組みも機能

町内会で要援護者を把握し担当者を決めていたので、
 約20分でほとんどが避難した。

☆ 大津波警報発令後の戦闘詳報-瀬戸元会長  
 - 午後3時13分沖に白浪が立った。

  - 同3時15分「見たこともない」
  黒い浪が防潮堤を越えた。

 - 「津浪だ逃げろ、また来るぞ」」
  瀬戸会長は拡声器で叫び続けた。

 - 第4波で防潮堤(高さ12m)が決壊。
  壊れた車のクラクションが鳴り響き、
  家はバキバキと音を立てながら、
  引き浪で海にのまれていく。

  - 10mを超える津浪は7回以上集落を襲った。  

 

  沖へ出るいつもの入り口水門 大津波をどうしたら 無惨なり

☆ 43人の犠牲-15分ルールむなしく尊い人命

- 繰り返される押し浪と返し浪で集落は壊滅。 

 - 約250世帯のうち、
  残ったのは高台のわずか15世帯だった。

☆ 明治29年、昭和8年の三陸大津波の戦歴-語り継ぐ

- 同町の両石湾はV字型湾形で波高が異常に増す。
  1896年の大津波では住民940人のうち、
  825人が犠牲になった。 

 - 「この憾みを絶対忘るるな」
  生き残った人々はこのように語り継ぐ。

☆ 1933年・37年後の大津波-明治の戦訓いきる

- 集落は甚大な被害を受く。
  町内での犠牲者は3人で軽微なり。 

  明治の戦訓が生きた。

☆ 風化-歴史の中に埋没・再三の惨禍-悲運の宿命

- 瀬戸会長は、
  "戦訓は命を助けるための知恵だ"。 

 - 防災教育を積み重ね、多くの児童生徒が助かった。

引用 岩手日報 平成24年7月2日  3.11教訓

 - 「釜石の奇跡」-[釜石東中・3.11戦訓二例http://maglogg.blogspot.jp/2012/06/blog-post_30.html]
   
  [釜石市鵜住居地区の津浪災害]
   

 - 鵜住居(うのすまい)の釜石東中学校
  両石地区より北へ峠一つ越えた集落 
    鵜住居川の扇状地というか、その河口付近に
  開けた両石より平坦地の多い町。

  両石よりは防災教育、避難訓練(高台まで遠い)のしづらい、
    住民多数の地区。

  両石、鵜住居いづれも津浪が湾奥へ直撃する宿命にある。

 ※これらの奇渦は、  
  平素の訓練と鍛錬のたまものにして、
  「負けても兜の緒を締めよ-奇渦をも忘るるべからず」と。

  私ら北の漁師は、
  小学四年までは毎年「避難訓練」が実施された。
  サイレンを吹鳴し昭和8年の3月3日、
  故事を偲び大わらわで「団体行動」および、
  「先生のいうことをきく」-教育効果てきめん。

  生徒は山へ一目散-勉強しなくてもよい。
  今想えば「遊びながらの団体訓練」
  -結果が出ているからよしとする。

  早春のこの時期、
  きまって「津波の発生」がみられた。
  だからこうです、
  「忘れようとして忘れられようか」
  -「三つ子の魂百までも」と。 



 
 

☆ 3.11大津波-悲運を忘れ去る日本

- 悲しみを受け止めよ 
   近代以来の日本は、
  戦争や災害など巨大な不幸を何度も経験しながら、
  悲しみを受け止める社会をつくらず、
  「忘れなさい。前向きに生きなさい。頑張ろう」
  と経済復興に結びつけることばかり繰り返してきた。

  死者と悲しみに寄り添い、
  社会の信頼性を高めていこうという思想が
  生まれてこなかった。

  日本の社会は弱者の視点を持たず、
  災害に当たっても「上からの目線」を繰り返してきた。
  
  「安心・安全」という言葉が為政者の側から使われるが、
  「安心」個人の心の問題であり、
  権力者が使ってはならない。
  権力者ができるのは「安全な社会」を作ることだけだ。

 ※至言と思うが、
  日本人離れの感性ながらはたと膝を打つ。
  感性・感覚といえば民族性・性格であろうから、
  "情緒民族日本人"を替える方法論は見当たらない。

  なにしろ
  「夫婦仲の悪い夫婦が努力もそっちのけで、
  仲人の仲人口の悪口」をしているようなもんだ。
  - 戦後の日本
  
  一介の漁師にはわからない。

  頭の中にフォルダーを作っておくだけだ。

 ◎エピローグ
  万という単位の人が死に、
  巨大な悲しみが蔓延している。
  
  コミュニティーをうしない、
  悲しみをバラバラにされたとき、
  人間は信頼を失う。

引用 
  野田正彰 関西学院大教授 論文
  44年高知県生まれ 災害救援学
  災害や犯罪について社会的、精神医学的視点から
  フィールドワークを続けている

  岩手日報 平成11年3月27日

☆ 北の漁師の流儀-戦訓

○まずもって不断の鍛錬
  それはこうだ、
  平素からの避難訓練、その意欲、その継続。
  住民組織の日常的な備えの見直しなどソフト面で補
  う体制作りが重要だ。

  『ひたいに汗して、身体で覚えて息も切らして
  己のものにする』


 ○戦跡を訪ねる-[地震・カミナリ・火事・おやじ]
   
    "地震・津波の前兆"-知識として収集 
  - 研究心が必要。
    経験だけに頼ることなく知識を収集し、
      もって旺盛なる想像力の涵養につとめる。

  - 明治三陸大津波・1896年(明治29年)6月15日 M8.5
   午後午後7時32分
   この日は旧暦の端午の節句であった。
   男の子がいる家では親族が集まって
   祝い膳を囲んでいる最中小さな揺れを感じた。

   この地方は"3月頃から小さな地震が続いており"
   "井戸水が枯れたり、水位が下がったり、
   いわしの大群が連日押し寄せマグロの大漁が続くなど"

   沿岸の漁村では例年と違う不思議な現象が起こっていた。

      午後8時7分   
   津波の第一波が三陸沿岸に襲来、
   続いてその8分後の午後8時15分に津波の第二波が襲った。
   その時間はちょうど満潮と重なっていたため、
   一段と波高を高くし、
   リアス式海岸が波のエネルギーを
   さらに高めて襲来するという悪条件が重なった。

 ○『空気が吸える、津浪はこない、

  命もらえる胸前こぶしの間』

- 大都会の直下型地震など。

  - 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)M7.3
   生きながら焼かれる
   最大の原因は、地震後一瞬にして起こった家屋の倒壊。
   直接被害による死者約5500人のうち、
   77%(4224人)が窒息・圧死によるもので、
   9.2%(504人)が焼死・熱傷による。

 ○大火災-大規模の竜巻に備える-火災旋風

江戸時代の大火、関東大震災の東京市の大火、
  3.10東京大空襲など。

  日頃の生活の中で起こるこの惨渦-火事
  - 最近では必ずといっていいほど人命が失われる。   
    [消防博物館]
     

 ○火事避難-夫婦の連携-お母さんの役目

  ご主人は会社、女である身のこのつらさ


  ※『状況は一殺多生ならんか』
   通園、通学児童たのむにどうする下の子は、
   背中に背負って迅速行動、水筒腰回り

  地震に火事は付きもの-梅に鶯松に鶴
  [火災遭遇]-防災マニュアル
   
  [命の三角空間]
    -地震時の避難方法の常識に対する新たな説
    

[地震雷火事親父4-防火防水防災-まぐろぐ] 第4部 


1.まぐろぐ-母港
  
  
 2.まぐろぐG-主たる定係港
  
  
 3.楽天無双次2のブログ-第2定係港
  
  
 4.まぐろぐJのブログ-定係港
  
  
 5.まぐろぐseesaaブログ-新定係港 切揚げ 
  http://maglogs.seesaa.net/index-46.html
  
  6.まぐろぐ-第3定係港 
   
   
  8.maglogglのブログ-新定係港 
   

   9.maglog-iのブログ-新定係港 切揚げ未定
     http://maglogie.blog.so-net.ne.jp/2012-02-02-1
   
  10.maglogfのブログ「ココログ」-新定係港
   

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   13.maglogaの海内まぐろぐ-Ameba  新定係港
   

まぐろぐ
H24 2012-07-28 1040

2012年7月20日金曜日

地震雷火事親父4-防火防水防災-まぐろぐ

地震雷火事親父4-防火防水防災  


本ブログでは、
3.11東北地方太平洋沖地震から1年有余すぎ、
あらためて振り返り書きとどめた戦訓を補足改訂、
戦闘状況からの状況設定を明確にして、
「生き残り」の戦訓として広く世に問うものです。  

防災計画
国、地方自治体の「防災計画」の発表は、
未だ成らないらしく、消防本團、市危機管理監にも、
なしのつぶてか話しが見えない。

適当な写真がネットの中にも見当たらず、
あえて画像は掲載しません


☆ 目次


4.北の漁師の流儀
  ☆"地震、津波の前兆なるもの-
  東京直下型地震-予知できない?-できる?"
  
  
  
  終わりに、
  分團班長でもある「北の漁師の戦訓のまとめ」を
  説いて筆を擱きます。
  
すでに、
1.市井の民人(大津浪に備える我らが英知-前兆現象)と、
 学者諸公(地震学など)との乖離。
 主に消防團班長の前戦間の"避難広報と誘導、
 状況偵察、水扉門の閉鎖、
 最期の5分に懸ける火消の心意気"について。

2.求めても得られない貴重な生き残りの戦訓。
 主として「3.10東京大空襲」と「関東大震災」の
 "火焔地獄からの生命維持と生還"を説く。
 

3.戦闘間の、消防団-非常勤の特別職地方公務員
 (一旦緩急の下義勇公に奉ず)
  にとどまらず、一民間人などの平素の覚悟を
 述べます。

上記1.2.3.について、
逐次、船方の消防団班長として戦訓の筆を入れます。

また、
上記1.2.3.については、
小輩のブログに上げました。


☆"地震、津波の前兆なるもの-

  東京直下型地震-予知できない?-できる?"


  ・『東日本大震災によりいくつかの大地震の発生時期が、
  早まったと考えなければなりません。

  まず、3・11大震災の震源域の北と南、
  岩盤が割れ残ったと思われる、青森沖と房総沖です。

  これらの場所で地震が起きれば、
  M8級を覚悟する必要があります』

 ・よく知られているように、
  巨大地震が発生した場合、数ヵ月から数年以内に、
  その隣接域で、同規模の大地震が発生することが多い。

  '04年のスマトラ沖地震の例が有名だが、
  最初の地震によって周囲の地殻の"歪み"が拡大し、
  連鎖的に大地震が発生してしまうのだ。 

 ・『ある場所が地震で動けば、
  動いていないその隣の地域には、
  当然、歪みが溜まります

  これは単なる力学的な問題の結果に過ぎず、
  高確率で、その隣接地域でも地震が起きます』 

 ※『1855年の安政江戸地震』以来、
  首都圏では直下型の大地震が起きていません
  関東平野の下には活断層が存在する可能性が高い。

  活断層は
  航空写真で確認できたものしか認められないので、
  厚い堆積層に覆われたこの地域では、
  見つかっていないだけなのです。

引用
    長尾年恭教授
  東海大学海洋研究所地震予知研究センター長
  [「首都圏直下型M8」「東海地震M9」はまもなく来る]
   

  ○M5クラスの中規模地震が再び増加
 
 ・「地震の回数を見ても、
  まだ収束に向かっているとは言えず、
  M7以上の余震の可能性も消えていない」
  (気象庁地震津波監視課)

  気象庁は3月8日、昨年の東日本大震災以降、
  日本で発生したM5以上の地震が、
  約600回に達していることを公表した。
  このうち、M6以上の地震は97回。
  M7以上の大地震も6回起きたという。 

 ・たとえば3月14日午後6時ごろ、
  三陸沖でM6・8とかなりの規模の地震が発生。

  するとその約2時間後の午後8時前、
  ほとんど同じ場所で、
  続けざまにM5・9の地震が起きた。

  さらにその1時間後の午後9時過ぎ。
  今度は千葉県の東方沖で、M6・1の地震が発生した。
  この地震は陸地に近かったため、
  茨城県神栖市付近で震度5強、日立市で震度5と、
  強い揺れを記録している。

  "この3月14日は、わずか3時間の間に、
  3回もM6クラスの地震が起きたのである"


 ※問題は、これだけではない。
  こうした中規模の地震は徐々に数を増やしながら、
  なんとその"震源が「東京」に向かって"
  ゆっくりと近づいてきているのだ。

  筑波大学大学院生命環境科学研究科の
  八木勇治准教授がこう語る。

  「3月14日の千葉東方沖の地震は、
  千葉県沖の〝浅い〟場所で起きました。
  実はこのタイプの地震は、
  これまで主に、東日本大震災の震源域である
  福島県沖などで発生していたのです。

  ところが、今やその範囲がだんだんと広がり、
  関東地方の浅い場所でも地震が起きはじめました。 

  
  
  
  



  


 実は昨年の東日本大震災の前にも、
 宮城県沖を中心とした東北地方太平洋岸の地域では、
 こうした中規模地震が群発していた。

 3・11の約1ヵ月前から、本震の震源地付近で、
 M5クラスの地震が続いていたことが明らかになっている。

 大震災により、
 広大な震源域の北(青森沖)と南(千葉・茨城沖)に、
 「岩盤が割れ残った場所」が現れた。
 M9のエネルギーを受け止め割れ残った場所には、
 強いストレスが生じて次の大地震が起きやすい。

 これまで専門家の一部はそう警告を発してきたが、
 今起きている状況は、
 まさにその警告が現実になるかもしれない。  

引用:週刊現代2012年01月18日号

 ◎専門家の一部とはそも如何に
  重複するので割愛します。 



 


 

○地震考古学

・安全保障集団の下士官として注目している。

  [大地震は次々と起きる]
   

 ・『関東直下型の大地震』と、『西日本の巨大地震』
  「寒川旭」-独法産業技術総合研究所の
  「地震考古学」研究家

 ・「そもそも東京付近では、
  むしろ地震が起きるのが普通だと考えるべきです」


 ※、「そもそも予測不能な直下地震の予測数値に
  一喜一憂するのはナンセンス」と断わった上で、
  「首都直下地震発生の確率は高まっている」
  と警告する。

  そう語るのは、
  武蔵野学院大学特任教授で元北海道大学・
  地震火山研究観測センター長の「島村英紀」

  「たとえば江戸時代は二百数十年続きましたが、
  その間に関東地方では、約30回も大地震が起きている。

  ところが近年は、
  1923年の『関東大震災』(M7・9)以来、
  ぱったりと大地震が途絶えています。

  この状態は、むしろ異常と言える。
  今後はかつてのように、
  頻繁に大地震が起きる状態に戻るとみたほうがいい

  "地震が次々と起きる"ほうが、
  東京ではふつうなんです」

 ※「地震が起きるかどうか」を議論すべき段階は、
  もう過ぎた。起きるかどうかではなく、
  「必ず起きる地震に、どう対処するか」を全力で考え、
  備えるべき時が来たのである。

☆ 消防団班長として戦訓   

○避難、退避訓練の大切さ。
 ○都合のよい思い込みを超える意識付け、
  インパクトのあるモチベーションを持たせること。
 ○自ずからたすくるものをたすく。
 ◎"津浪の前兆"-地震学に採りいれ、
  「予知連」の予報・予測を効果あらしめる。 


 ※「過去に東京付近を襲った地震、
  たとえば1855年の『安政江戸地震』(M7以上)は、

  "隅田川の河口付近が震源地"だったとされていますが、
  そこから半径20km以内の被害が非常に大きく、
  江戸の下町の繁華街の多くが壊滅し、
  当時でもおよそ1万人の死者を出しました。

  現在の地名で言うと、
  日比谷、有楽町、深川、浅草といった地域が
  大きな被害を出しています。

  また、
  隅田川や荒川などの河川流域も地盤が弱いため、
  非常に強い揺れに見舞われる恐れがあります。

  昔は利根川も東京のほうに向かって流れていました。

  その影響で、
  現在の埼玉県三郷市や草加市、
  千葉県野田市といった地域から、
  東京の江東区、江戸川区、墨田区、荒川区なども、
  かなり強く揺れるでしょう」

  地盤が悪いと、
  たとえ震源が直下でなくとも、
  震度7を記録する場合もある。

  河川流域のほか、
  東京湾の沿岸部やかつての海・湿地の跡も、当然危ない。

  銀座付近から霞が関、
  大手町、神田、神保町といった都心部は、
  江戸期以前は海が広がっていた場所だ。 

引用::[江戸・東京を襲った地震に学ぶ]
    -"地震道" 、『江戸前島』

   [2011年3月11日東日本大震災の教訓と、江戸東京の   直下型地震の特徴]



 ○"火焔の旋風"-餌食となる恐怖
 ・歴史的事実
  首都直下地震の発生について、
  京都大学都市社会工学専攻の藤井聡教授も
  次のように警告する。
  
 ※ ○869年、貞観地震(M8.3~8.6)
   ●878年、相模・武蔵地震(M7.4)

   ○1611年、慶長三陸地震(M8.1)
   ●1615年、慶長江戸地震(M6.5)

   ○1896年、明治三陸地震(M8.2~8.5)
   ●1894年、明治東京地震(M7)

   ○1933年、昭和三陸地震(M8.2~8.5)
   ●1923年、関東大震災(M7.9)
  
  藤井氏の指摘をまとめると、
  下記のようになる。 
  
     ○は三陸沖で起きた地震。
   ●は首都圏で起きた地震

  藤井氏が解説する。  

 「少なくとも過去2000年間の記録を見ると、
 三陸沖の巨大地震と首都圏の大地震は連動している。
 『だから今回も起こる』と早計には言えないが、
 この歴史的事実は強い説得力を持っています

 ○歴史的事実-火焔地獄→[「大正大震火災」]
  

引用:「フライデー」2012年6月22日号

    [江戸時代の大火]-いちらん屋 
  - 多:南西の風、北西の風
   
  
  

 ◎消防團・すじ袢纏の本領-歴史に学ぶ戦訓

・地震雷火事親父とはよくいったもんだ。
 ・生きながら焼かれる-阪神淡路の大火災。
  初動遅れた左派県知事-自衛隊の救援出動拒否。
  後になんの所以か叙勲す。

 ▼さらに追い打ちをかける火焔の死神
  [思い起せよ大正大震火災(関東大震災)]-その素顔
  

 

☆ 北の漁師の流儀-戦訓のまとめ  

●[関東大震災の前兆]-半年前からの現象
   相模湾沖地震-大正12年9月1日11時58分発生。
  
   ※直下型地震の恐ろしさ
    相模灘海底で、
    数10~300mもの隆起および陥没が発見されたが、
    これは地震時に生じたのではなく、
    地震前に生じていたらしい。
    
    三浦半島、房総半島では住民が、
    「年々浜が減少していく」と述べていた。
  
  
  
 ○[地震・津波の前兆]-鳥山英雄:"生体電位学"の泰斗
   
  ※魚というのは、
   環境の異常に対して非常に敏感なんです。
   よく、地震の前にナマズが騒ぐ、と言われますが、
   あれは迷信ではなく科学的に説明できることです。

   海底で岩盤や断層が動くと電気的、
   化学的な反応が起こり、
   "電磁気的な変化"が起きると考えられています。
   それを、魚たちは感知するという理屈です。

   2004年12月26日に起きた
   インドネシア・スマトラ島沖の地震では、
   対岸のタイ南部で、
   観光客を乗せてゆったりと歩いていたゾウが、
   突如として奇声を発し、
   丘の上へと駆け上がったことが報告されている。

   ゾウが逃げた後、海岸を大津波が襲い、
   観光客は九死に一生を得た。

   日本でも1995年の阪神・淡路大震災の直前に、
   ペットや鳥などが異様に騒いだ、
   ボラが川を大挙して遡ったなどの証言あり。
   
   淡路島の南海域では、
   真鯛の大漁が報告されている。
   
   また、浪速の文化人藤本義一のペットの犬が、
   一週間前からその行動がおかしいと、
   スポーツ新聞に5日目に載った-実読。
   
   

 ◎東大を頂点とする地震学だけでは予知は無理←

  社会性の欠如

・自然科学+社会科学=防災学?→防災システムへの
  予算付け←百年河清を待つ:大黄河の流水澄まず。

 ・頭がかたくては命ながら得ません。
  覆水盆に返らずとはまさにこのことか。
  
 ○なぜ自然現象を素直に受け止め、
  科学者らしい"なぜだろう?" -論理的思考
  - 防災心理学から説きます
   
   地震学の泰斗たる東大の偉い学者先生も、
   所詮は人間にほかならない。
   
   ということは小輩ら市井の大衆とかわらず。
   
   それは一般論として、
   「人間の心理を検証し、
   組み込まない限り実効性のある対策は困難であり
   "安心の死角"をなくすことはできない」
   
   引用 
   
   [山村武彦-防災・危機管理アドバイザー]

   
  - "認知不協和音"ー東海地震以外での前兆観測は、
   "空白地帯"だった→"想定外"
   
   まことにもって"社会科学"も
   勉強してもらわないと。
   
  - そのためには、
   「箱物やシステムを作るよりも、
   防波堤を高くすることよりも、
   まず一人ひとりの危機意識を目覚めさせ、
   "心の堤防"を高くすることだ」 
   
 
 ◎我ら一般の大衆は、
  命を全うすればいいのであって、
  難しい理屈はいらない。

 ・避難戦術行動間において、
  よく市民、町民、村民をして退避誘導、
  無事に護ることにあり。
  
  また、結果として安心立命  

[地震雷火事親父2・3-防火防水防災-まぐろぐ]-第二部・三部


 

まぐろぐ
H24 2012-07-20 1540

2012年7月13日金曜日

地震雷火事親父2・3-防火防水防災-まぐろぐ

地震雷火事親父2・3-防火防水防災  


本ブログでは、
3.11東北地方太平洋沖地震から1年有余すぎ、
あらためて振り返り書きとどめた戦訓を補足改訂、
戦闘状況からの状況設定を明確にして、
「生き残り」の戦訓として広く世に問うものです。

☆ 目次


1.市井の民人(大津浪に備える我らが英知-前兆現象)と、
 学者諸公(地震学など)との乖離。
 主に消防團班長の前戦間の"避難広報と誘導、
 状況偵察、水扉門の閉鎖、
 最期の5分に懸ける火消の心意気"について。

2.求めても得られない貴重な生き残りの戦訓。
 主として「3.10東京大空襲」と「関東大震災」の
 "火焔地獄からの生命維持と生還"を説く。
 

3.戦闘間の、消防団-非常勤の特別職地方公務員
 (一旦緩急の下義勇公に奉ず)
  にとどまらず、一民間人などの平素の覚悟を
 述べます。

上記1.2.3.について、
逐次、船方の消防団班長として戦訓の筆を入れます。

☆ 北の漁師の流儀 

地震、津波の前兆なるもの。
  終わりに、
  分團班長でもある「北の漁師の戦訓のまとめ」を
  説いて筆を擱きます。
  
  三部作ぐらいになる予定です。
 



 ※北の漁師はどうする? 

- 空襲なので、
  想像を絶っすることでもあるし天命にまかせる
  外なきものと覚悟せざるを得ない。

  昔から江戸の大火は強風の日に起きていたので、
  都民の誰もが空襲による火災のことを心配していました。 

  - 気象術の観点から避難行動する  
  北の漁師は職業柄"気象術・観天望気"にさとい、

  わけても"風の向き"、沖では朝起きてから寝るまで、
  この手はずです。
  習い性になってます。

  引用:「東京大空襲その二」
「荒ばえ」:相模湾岸の漁師が使う気象用語

  

☆ 火焔地獄-関東大震災に学ぶ -『相模湾沖地震』 

○結論からの被災状況の設定
 - [「退化した防災思想」・全く異なる災害]
   

 - 東京・横浜クラスの大都市の、
  直下型地震の経験は世界広しといえども、
   どこにもありません。
  
   ロサンゼルス地震は、
   マグニチュード6.7、死者61名で参考にはない。

 - 大地震が起こったとき、
   新旧入り乱れた建物が混在し、
   未だに狭い道が入り組んでいる東京や横浜の、
   都市部の弱さは消防設備の脆弱さではありません。

 - [警告されていた大火災]-史上ワースト1の自然災害
 

  古い建物が倒壊して路地を塞ぎ、
   救急車や消火活動の妨げとなる活動障壁が至るところで出来、
  その結果孤立地帯が生まれるという、
  "面ではなく細かな孤立点が点在する"
  今まで全く違った被害が数多く発生するものと考えらる。

引用 「関東大震災の素顔」-災害に備えるなら

  ○火焔地獄-火災旋風-竜巻  
 - 関東大震災では〝火災旋風〟と呼ばれる
  現象が大きな被害を引き起こしました。

  火災旋風とは、燃えている建物の形状で生じたり、
  火焔が空気を取り込もうとする上昇気流と、
  横風の組み合わせで生じたりする巨大な炎の竜巻です。  


 

    

   あり得ない俯瞰図 想像の域を出ない
 巨大な火災旋風が一つになり 竜巻の直径は数キロにもなる
 これでは竜巻同士が干渉し合う 一つの参考として

   

  竜巻部分の火柱は数十mから100mに上り、
  周りを延焼させながら秒速10m程度で移動する。

  関東大震災の時は、
  本所(現在の墨田区)にあった
  旧陸軍被服廠跡の空き地で巨大な火災旋風が発生し、
  そこに避難してきた約4万人が命を落としています。

  この火災旋風の大きさは
  半径約1㎞にも及んでいた可能性がある。

 - 巨大な火焔の竜巻が、
  人々を巻き上げながら縦横無尽に荒れ狂う---。

  関東大震災の時は、
  秒速50mの猛スピードで移動する
  火災旋風も発生したと考えられている。

  阿鼻叫喚の地獄絵図だが、
  老朽化した木造住宅が密集する
  山手線の外周部や環七沿いには、
  一度火の手が回れば
  90年前の悪夢が蘇る可能性は否定できない。

  そんな時、生死を分かつのが、
  「どこに逃げるべきか」という判断だ。

引用 「桑名一徳」准教授
   山形大学工学部・物質化学工学科 論文 
  - [現代ビジネス]
   

  ◎[双子地震と3度の上下の大揺れ]
       


 ☆ 北の漁師の流儀-生命維持 

・[地震時の避難方法の常識に対する新たな説]
    - "命の三角空間"
     ダグ・コップ
   :アメリカ国際救助チーム隊長・災害マネージャー
  - 世界で最も経験豊富といわれる。 
    - 今まで、
   崩壊した875の建物の中に入り込み、
   60か国からの救助チームと一緒に作業し、
   複数の国で救助チームを組成してきました。

   災害軽減のための専門家として
   国連でも2年間勤務しておりました。
   私は1985年以降、
   世界中のあらゆる大きな災害に取り組んできた。
   

 ※北の漁師はどうする
 - "グラッときたら火の始末"、
  "グラッときても備え安心通電火災"
  

   
 

 ◎[「スイッチ断ボール」]
  -地震の時ブレーカーを自動で落とす装置 
   

  - 3.11では、
  数日経てから"漏電"が原因と思われる火災が、
  多発し火事場の戦闘状況が暗闇の中錯綜を極め-
  消防水利の確保と火点への駆けつけ並びに、
  消防ホース延長など-戦闘正面の奔命に追われた。

 - "一週間は油断大敵漏電火災"・3.11戦訓

☆ これら大惨劇災をシステム化-まとめ

・想像力の問題-個人差がある。
      歴史と経験に学びこれらを共有すること。
  ・避難訓練の問題
   平素から真剣に、
   "ひたいに汗して、身体で覚えて息も切らして
   己のものにする"


   参加してこれを共有すること。  

  ※["心の緊急スイッチ"]-防災無線-"非常呪縛"
      ◎"日常から非日常"
         "平常から非常"
         "通常から異常"

       切り替えを、 
      『防災・危機管理心理学』-山村武彦氏が述べている。
   

  ○[対津戦闘詳報]-「てんでんこ」もいいが.....
     
  ・「てんでんこ」の問題
   過酷にもさらに切迫、
   急迫せる惨状が予想されるいまわの期に、
   家の子など「一殺多生の理」のたとえもあるが、
   運を天に任せ-「めいめいコ・てんでんこ」 と。

   すなわち「逃げるひまがない」
   絶体絶命の下でありましょう。   


  

 このぐらいの火災には"てんでんこ"は必要が無い

      消防団班長としてはうなづけないが、
   最期の決断はこうならざるを得ない。

  ・"家族単位のパーティーを組む"-
      最小単位の部隊-人間は一人では生き残れない

     一家の主人たる旦那さんは大丈夫たるゆえ、
    奥さん以下子供たちをして"あおぎみる"存在につとめ、

    他の人々にも"手をさしのべる"が如く行動。
    理想でありましょうが、
    これによって家族の絆が深まるものと考える。 

    "家の人はやった、命を助けた。
    お父さんがんばった、すごかった。 
    どこそれ屋の旦那のおかげだった"。

     ◎避難の行動間-軽挙妄動-付和雷同-流言飛語 
     - 市井の最末端の部隊(家族単位のパーティー)は、
     ただただ避難・退避に追われ気力に異常を来す。

    - これら状況の下、
     情報が錯綜しているので強いてこれを求めない。
     情報を気にしないこと。

    ※急迫下状況が許せば-対策本部、
   各地方自治体庁舎方面へつとめて先行すること-
      情報が貰いやすい。

   先行・潜行方法は、
   あらかじめ研究し二善・三善五善まで工夫。

     "まず生命維持"に専念。
     かつ、悪い方に考えないこと。
     グループには、
     得てしてこのように考える人たちが現れる。
     これに与しないこと。

    ・火焔地獄は背中に迫る
     - 切羽詰まったこのときに、
      経験が物言ういまわの秋だ、
      "天命尽きるまでは命をあきらめない"

     - 運良く"風向きが変わる場合がある"

          - 同じく、台風が本邦を縦断上陸勢力が衰え、
      温帯低気圧に変わった場合

            "前線を引っ張り南西から西南西の風が、
      西北西から北西の風(かわせの風)"
に急変。

        見る間に雨がが上がり、雲がちぎれ青空が
       見え始める。 
 
   
  風の方向をよく観察して

       これによって、
       火焔の進む方向が変わり、
       あるいは河川の水量が減り始める。

       これにて一安心。

    ○気象術から 
     - 観天望気もさることながら、
      平素より風向きはもとより天気図を読む。
      天気図を見てから予報をとらえる。

     - 興味を覚えたら、
      新聞のそれを切り抜いて収集しておく。

     - 陸の一般の人たちは、
      雨を一番気にしているが、
      小輩どもは風の向きに気をつけている。
      雨が降ってきたらカッパを着ればよい。

☆ まさに殷鑑遠からず-[阪神大震災では10秒間で倒壊した] 



 

  ●[地震雷火事親父-防火防水防災-まぐろぐ]-第一部
     
  

まぐろぐ 
H24 2012-07-13 1530